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2009年04月 アーカイブ

2009年04月05日

水着用下着

第一次性徴期の男女は身につけないことが多い。ただし、股布の無い水着を着用する場合はスイムショーツ(スイムサポーター)を履くことが多い。第二次性徴期以降は陰部の保護や陰部はみ出し、陰毛のはみ出しや女性の場合マンスジを防ぐために股布のある水着を着用していても水着の下にスイムサポーターを履くことが多い。一般的に競泳用は材質そのものが優れており、あえて履く必要はなくなっている。色は白・ベージュ・黒などである。また、第二次性徴期以降の女性は、胸ポチや、摩擦を避けるために粘着式の乳首被覆用パッド(知名度の高いニプレスは常盤薬品工業の登録商標である)を貼り付けたり、水着の下にバストパッドを付けることもある。どちらとも下着は水着からはみ出ないように着用する。

競技用水着についての概要 [編集]
競泳用の水着は1970年代以降、素材の改良やデザインの見直しが常に行われ、記録の向上に寄与してきた。そんな中で水着の製造・販売に携わるスポーツ用品メーカーの競争が繰り広げられ、業界再編につながるケースも出てきた。

現在世界ではフランスの「arena(アリーナ)」と英国の「SPEEDO(スピード)」の両陣営がメジャーとなっており、これにイタリアの「DIANA(ディアナ)」、日本の「アシックス (ASICS)」が続く。最近ではアメリカの「ナイキ (NIKE)」、ドイツの「アディダス (adidas)」、さらに北京オリンピックをにらんで中国の「Yingfa(インファ)」なども世界市場に食い込んでいる。

日本国内ではデサントがarena、かつてのミズノがSPEEDO陣営に加わり、これにアシックスを加えた3社が日本水泳連盟から各競技代表選手への水着供給メーカーとして指定され、一般にも普及している。しかし、各社とも技術力をつけてきたことや上記海外勢が日本への展開を本格化させたこともあり、近年は独自の世界戦略をとり始めている。

アシックスはDIANA陣営に加わり、日本で同社の水着をライセンス製造・販売していたが、陸上競技などで自社ブランドへの世界的な認知が高まったことから、競技用水着は自社ブランドに切り替えた(女性向けフィットネス用では引き続きDIANAブランドの人気が高いため契約は存続し、「COMO DIANA」のブランドで製造・販売を継続中)。さらにSPEEDO陣営の一員として数々の先端技術開発を担ってきたミズノも2006年末、創業100年を機に「全商品のブランドを“MIZUNO”に統一する」という方針を明確にし、SPEEDOとのアジア地区パートナー契約を2007年5月で終了させ、以後は自社ブランドの水着を展開している。

なおSPEEDOはミズノとのライセンシー契約が終了後、三井物産が日本での新たなパートナーとなり、ゴールドウインの受託製造・販売で展開されている。

国際水泳連盟は2007年、「北京オリンピックから、水着表面に(高速化のための)特殊な加工を施すことを禁じる」決定を行った。これにより各メーカーでは、いわゆる「鱗(うろこ)入り」「突起付き」「ストライプ入り」水着の製造中止に追い込まれた。このルールの周知を徹底させるため、国によっては新ルールを前倒しで実施して大会を行うケースもある。そうした中、SPEEDO社が開発した「レーザーレーサー」をめぐり、2008年、全世界の水泳界で大きな騒ぎとなった。

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2009年04月22日

氏(うじ)

氏は、現代の日本では、おおよそ以下の意味で使われる。

氏(うじ)は、古代氏族を現わすもの。ウヂ。(なお、古代中国における氏は氏 (中国)を参照)
氏(し)は、名前の最後につける敬称。○○氏。古風には、他と同様「うじ」とも読む。
氏(うじ)は、姓氏(せいし)の事。中世後期から明治以前までは、氏とは姓(セイ、本姓)のことであり、名字(苗字)とは区別されていたが、明治以降、現代の日本では、姓・氏・名字(苗字)は、ほぼ同じ意味で使われている。
日本の古代における氏(ウヂ、うじ)とは、氏族、すなわち、祖先を同じくする親族集団およびそれを中心に結合した土着的・政治的集団のこと。氏(ウヂ、うじ)は、やがてヤマト王権を支え仕える父系血縁集団として、ヤマト王権の氏姓(うじかばね)の制により姓氏(せいし)へと転化する。

その中には、地名に由来するもの(蘇我氏、出雲氏、尾張氏、吉備氏など)
朝廷の職(品部)に由来するもの(物部氏、日下部氏など)
天皇によって新たに姓を賜わったもの(藤原氏、橘氏、源氏、平氏、豊臣氏など)
がある。

また、ウヂの後には、のを入れて読むことが多い。こののは、帰属を表す。例えば「蘇我馬子(そがのうまこ)」ならば、蘇我氏「の(に属する)」馬子、源頼朝(みなもとのよりとも)ならば、源氏「の」頼朝という意味となる。

ナビイサク シュレッ ながしの ステータス プロト イ短調 スプリ ジスト タープ ルテイン リストア スープ オプティ フェア マグナム プロトン メラノ プロローグ オール アップ ジボソン シュプ チャプチ レット サルコメア シアン ディア ピクチャ オムガイド インソ オーナ アマ ビルダー オペック バック らんこし ブエノス コッヘル フォー シルバー ビジホン たまごいろ パーマ ヒサカ ジャンル ハスキ アリスム 便利に生活 クロス バッファ

また、氏の呼称は自己の属する血縁集団に基づいて名乗るものであり、婚姻によって本来所属していた家族集団とは違う氏に属する家族集団に移ったとしても氏を変えることはなかった。平(北条)政子が源頼朝の正室になっても「源政子」と名乗らなかったのはこうした考え方による。ただし養子縁組の場合はケースバイケースであった。源師房が藤原頼通の養子になっても「藤原師房」とは名乗らなかったが、源義家の四男惟頼が高階氏に養子に行ったときは、高階氏に改姓している。藤原清衡のように、もともと入り婿の形で清原姓を名乗っていたものが、藤原姓に戻したものもある。

平安時代の貴族や武士では、血縁集団を区別するための氏(ウヂ)とは別に、家族集団を区別するために家名ないし苗字を名乗るようになり、それが一般的に通用するようになる。例えば源氏の中のある家系は足利という苗字を称し、別の家系は新田の苗字を称した。つまり足利も新田も、血縁集団としては同じ源姓の源氏だが、家族集団としては足利家と新田家と別個に分かれた。時がたてば、足利も新田も家族的規模からより大きな氏族的規模となり、そこからさらにまた家族集団が新しい苗字で別れていった。

江戸時代までは、朝廷の公式文書には氏(ウヂ)と姓(カバネ)を記すのが習わしであった。姓(カバネ)が朝廷との関係を表す。例えば、徳川家康の場合は「源朝臣家康」と記す。「源」が氏(ウヂ)で、「朝臣」が姓(カバネ)である。ただし、平安時代の頃から、氏(ウヂ)と姓(セイ)とは同じものとされるようになり、例えば「源」は姓=氏とされた。姓(氏)と名字(苗字)との違いは、姓=氏が天皇(朝廷)から賜ったものであるのに対し、名字は自らが名乗ったものであるということである。例えば、足利尊氏の場合、姓(氏)の「源」を使った場合は「源尊氏」であるのに対し、名字(苗字)の「足利」を使った場合は「足利尊氏」である。

明治初期から明治民法下における氏
明治時代においては、まず1870年に、それまで身分的特権性を有していた苗字を平民も自由に公称できるようになり、苗字の特権性が否定された(平民苗字許容令)。つまり明治以前までの、姓(氏)と、名字(苗字)の二重制度が廃止され、姓(氏)=名字(苗字)として一元化され、自由に名乗れることにされたのである。

1872年に壬申戸籍が編纂された際、戸主の届出によって、戸籍へ登録する氏が定められることとなる。それまで、朝廷で編纂される職員録には伝統的な氏(うぢ)と諱が用いられてきたが、多くの戸主は戸籍への登録は苗字(家名)を以て「氏」として登録した。広く知られている例では、越智宿禰博文が伊藤博文と、菅原朝臣重信が大隈重信と、源朝臣直正が鍋島直正と、藤原朝臣利通が大久保利通と、藤原朝臣永敏が大村益次郎と登録したものなどである。その後も伝統的に旧来の氏を用いる場面は皆無ではないが、この壬申戸籍以降、国家が公的な場面で旧来の「藤原朝臣○○」などの名称を用いることはなくなり、この壬申戸籍によって伝統的な氏(うぢ)の用法は事実上ほぼ途絶したものといいうる。

その後、日本国民全てを戸籍により把握する必要が発生したことや事務上の要請もあったことなどから、1875年に、全ての国民について苗字の公称が義務づけられることになる(平民苗字必称令)。その際、妻は生家の苗字を称すべきか、夫のそれを称すべきかが問題となったが、1876年の太政官指令では、武士の慣行であった夫婦別氏の慣行に従うべきこととした。

ところが、庶民の生活実態に合わないなどの理由で、明治政府の夫婦別氏政策に対しては、地方から多くの疑問や批判が出された。また、不平等条約の解消の一環として民法典の編纂がその頃始まったが、当時のヨーロッパ法を参考にしたこともあり、妻が夫の氏を名乗る夫婦同氏制が草案の段階で採用され、1890年に公布された旧民法においても、妻が夫の家の氏を用いるとする夫婦同氏の制度が正式に採用されることになる(この旧民法において、法令上は「氏」で呼称が統一される)。

旧民法はいわゆる民法典論争により施行されず、改めて現行民法が制定・公布され1898年に施行された。ここでは、家族制度につき戸主及びその家族から構成される家という集団を想定し戸主に家の統率権限を与えるという、いわゆる家制度が採用された(家制度自体は、旧民法でも採用)。そして「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」と定められたことから、氏は、家の呼称としての性質を有することになる。また、家を同じくする者を一つの戸籍に編成する法制を採ったため、戸籍編成の単位としての意味をも持つことにもなった。

家制度廃止後の氏
第二次世界大戦後における家族法の大改正の際、日本国憲法に違反するとして家制度は廃止されたが、氏の制度は廃止されず、維持された。その際、家制度を連想させる「氏」の語を廃止し「姓」を採用することも考えられたが、結局は変更されなかった。

氏は、社会習俗上はともかく、法制度上は家という拠所を失ったため、その法的性格をどのように考えるかが問題となった。この点については、名と合わせて個人の同一性を識別するための個人の呼称としての性質を有すること自体はあまり争いがないが、そのことを徹底して主張するのか、いわゆる核家族の呼称でもあるのか、同籍者集団の呼称でもあるのか、一定の身分関係にある者の共通の呼称であるとするかなどに見解が分かれている。

戦後の家族法改正後においては、氏を同じくするか否かは民法の規定によって定まるが、戸籍が「一の夫婦及びこれを氏を同じくする子ごとに」編成されるため、氏は戸籍編成の基準としての性質をも帯びる。戸籍以外の点で氏の異同が大きな法律上の差異を生じさせることは法制度上は極力避けられているが、祭祀財産の承継については、氏と関連付けられている。

民法での氏
夫婦の氏(750条)
生存配偶者の復氏等(751条)
離婚による復氏等(767条)
離婚による復氏の際の権利の承継(769条)
子の氏(790条)
子の氏の変更(791条)
養子の氏(810条)
離縁による復氏等(816条)
離縁による復氏の際の権利の承継(817条)

2009年04月24日

香水

香水(こうすい)は、体や衣服に付け、香りを楽しむための化粧品の一種。

もともと宗教的な用途や薬用として使われていたが、近代以降、楽しみやたしなみとしての香水が生まれた。香料をアルコールに溶かして作られる。現在では数多くのブランドが生まれている。

装飾品同様、定番のブランドがある一方で、新商品、季節限定商品が市場で注目されることも多い。女優などが自分の名前を冠した商品やブランドを立ち上げることもある。

香水は付けた人間の体臭と混ざり合って香りを演出するので、液体の香りそのものからは身に付けた際の香りを知ることはできない。肌の酸性度(pH - ペーハー)、水分量、皮脂量が各人異なるうえ、皮膚を構成するタンパク質の末端のアミノ酸の違いで飛ばされる香料と残される香料に個人差がある。また、香りは時間がたつにつれて変化する。香水をつけて10分くらいの香りをトップ・ノート、少し時間が経って20分から30分ぐらいの香りをミドル・ノート、大分時間が経って消えてしまうまでの香りをラスト・ノートという。変化のしかたや早さは、濃度や商品によってさまざまである。

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揮発性を利用することから、一般的には体温の高い脈打つ場所につけるとされる。特にひじの内側につけると皮膚温が高く、動作のある為、効率よく揮発する。同じ静脈でも手首は衣服や物に触れる事が多く、案外消えが早くなる。また香りの変化や持ち・目的に合わせてつける場所も変える。耳の後ろや首筋などの鼻に近い場所につけると強く、膝裏や足首などの鼻から遠い場所につけると弱く、香りを感じられるようになる。またハンカチやスカートのすそなど、衣服につける場合もある。この場合は香水によるシミができることがあるので、使用後の衣服の取扱いに注意が必要となる。

香水の調合を職業とする者を調香師(パフューマー、parfumer)と言う。フランスでは、極めて評価の高い調香師をさす「ネ」(仏:nez; 「鼻」の意)という称号がある。石鹸、シャンプー、洗剤等の日用品や、清涼飲料水等の食品に添加する香料を調合する人はパフューマーではなくフレーヴァリスト(flavorist)と言う。

日本でも香水は化粧品の一種として広まってはいるが、欧米ほど使用が一般的になってはいない。これは、食生活や入浴頻度などの文化的経緯から臭い、味覚に敏感であり、無臭が好まれているためである。また、そもそも欧米人と比較して、日本人の多くを占めるモンゴロイド(特に弥生人にあたる新モンゴロイド)には腋臭が少ない人が多いためとも考えられる。その結果、香水そのものの認知やにおいに対するマナーの違いなどにも影響を与え、香水の普及に歯止めをかけていると言える。日本の化粧品会社の製品もあるが、人気商品の多くは代理店などによって海外から輸入されたものである。

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